伊藤和也さんのこと。

 昨夜のNHKスペシャルは、ペシャワール会というNPOのメンバーとして、5年間、アフガニスタンで農業指導に従事し、昨年8月に銃弾に倒れた伊藤和也さんのドキュメンタリーだった。
 この悲しい事件があったとき、報道される伊藤さんの活動ぶりや、息子の突然の死に対するお父さんの立派な様子は印象に残った。でも、ただそれだけだったら、このニュースのこともどんどん忘れてしまっていただろう。しかし、妹の仲の良い同僚(私より年長)が、今の職場に来る以前、ペシャワール会のメンバーとして、伊藤さんと一緒に仕事をしていたということを知り、事件に触れたその同僚の様子などを伝え聞くうちに、伊藤さんという人が私にとって、決して遠くない人になっていた。
 だから、テレビ欄にも気づいたし、観なくては、と思って番組を観た。伊藤さんが撮りためていたたくさんの現地の写真と、折々のメールでの報告を手がかりに、アフガンで一緒に働いた人たち(日本人もアフガン人も)へのインタビューや現地の様子を織り交ぜて、抑制の効いたトーンで、一人の若者がアフガニスタンで働いた5年間が綴られていた。丁寧に伊藤さんという人の日々を追うことで、いろんなことを考えさせられる番組だった。
 まずはっとしたのは、伊藤さんがアフガニスタンにいた5年という年月。息子の年と同じだった。息子が生まれた年に「農業技術を伝えることで、アフガンの人たちを幸せにしたい、そのためには2年や3年では足りないと思う」と志望動機に書いてアフガンに飛び、試行錯誤しながら現地の人たちの中に入って、少しずつ緑を増やし、5年後亡くなったときには1000人もの地元の人たちが「イトー、イトー」と彼を悼んだ。
 私が日本で子どもを育て、研究に悶々したりしていたのと同じ時間の中で、同世代の伊藤さん(享年32歳)という人はアフガンでこういうことをやっていたのだ。まさに息子が生まれてからの5年と重なるだけに、番組の中で進む時間がリアルだった。
 そして、農業という営みの大切さ。食べられるということのかけがえのなさ。豊かな農業国だったアフガニスタンは、干ばつで荒れた土地になっている。農家はいるが、作物が取れない。みな貧しい。農業でやっていけないから、稼ぐために武器を手に取る人が多い。荒れた土地でも作れるケシが栽培されるが、それはアヘンの原料だ。貴重な換金作物として、ゲリラたちの資金源となる。お金にはなるが、おなかはいっぱいにならない。
 緑の大地を取り戻すために、ペシャワール会の現地代表・中村哲医師は、その荒れた大地に水を引く壮大な計画を立てている。伊藤さんも水路を掘り、またアフガンの土地でも作れる作物を探して、実験栽培を繰り返す。無意識に出た「教えてやる」という態度が伝わって受け入れられなかった失敗を踏まえ、現地の子供たちとカメラで交流を深め、その親たちとも信頼関係を築きながら。
 地道な努力の末、砂っぽかった場所が、3年後の写真では一面の菜の花畑になっていた。子どもたちがにこにこ笑っていた。何度も失敗したサツマイモ栽培だが、ついに昨年成功し、現地の大人にも子どもにも、甘くておいしいと受け入れられる。今年はたくさんの農民が、種イモをもらいに来たという。あるおじさんは「初めて食べたときは、砂糖を混ぜたのかと思ったよ!」と語る。
 途上国の開発や援助の話になるとき、私が決まって思うのは、「私はそういう活動は、しないし、できない」ということだ。悲惨な現状があり、たとえ小さなことでも、よい方に進めるための手が必要だということは分かる。でも、私はそういう現場に行って、本当に現地の人たちの「中」で働ける自信がない。そこでの暮らしに「寄り添う」あり方もできないと思う。これは、自分の性格を見ていて思うこと。
 途上国の研究も「しないし、できない」。さきのような理由ももちろんのこと、深刻さの程度は途上国のほうが間違いなく大きくても、やはり私は自分の今生きている日本社会の問題のほうにリアリティを感じてしまうし、「衣食足りて礼節を知る」、日本社会がガタガタなのに、本当の意味で他の国と共生しよう、手を差し伸べようという機運は満ちてこないと思うからだ。
 でも、伊藤さんがしたことは、確実に、干ばつに苦しんでいた菜の花畑やサツマイモの村の状態を変え、人々に幸せをもたらした。その重みはずしーんと胸にきた。
 最後に。この番組が秀逸だったのは、アメリカの「テロとの戦い」の名の下でのアフガニスタン攻撃、それに追従する各国(海上給油した日本含む)、その結果としての悲惨な誤爆とアフガンの人々の外国人への目の変化を、伊藤さんの話ときちんと並行させて描いていたことだ。
 伊藤さんたちは、治安の悪化によって、昨年9月には活動場所を去ることになっていた。伊藤さんを拉致し、撃ったのは、金目当てで外国人を襲う人たちだった。
 「テロとの戦い」ってなんだろう。改めて、よく分からない。半分眠りながら一緒に番組を見ていた息子が「どうしてアメリカは攻撃するの?」「どうやったら戦いは終わるの?」と聞いてきた。9.11から話を始めて、その犯人のグループがアフガニスタンにいると思って攻撃している…と話してみたが、じゃあなぜそんなに誤爆するのか、誰を捕まえ、何がどうなったら攻撃は終結するのか、つじつまが合う説明はできなさそうだった。結局出てきた言葉は「…アメリカが適当なんだよ…」というものだった。
 それにしても、伊藤さんが撮った写真は、後半になるにつれて、どんどん色彩豊かに表情豊かになっていった。モスクの建設に自分の貯えを寄付し、自分の牛を買って、いずれはここで家族を作ってアフガンの村に腰を据えようと考えていたという伊藤さんの冥福を祈ります。