怒っても怒っても母は母

 今日のごはんの話で書いたように、食事時息子に結構ガミガミ怒ってしまった。そして夜、日本農業新聞の1面「おはよう 名歌と名句」という欄に、こんな短歌を発見。

一日くらい 怒らない日を作ってと 飯こぼしつつ 子は言いつのる
(森尻理恵『S坂』)

 毎日毎日何かしら怒っている母。確かに私も、子どもに一度も怒らないで済む日なんてないのではないか。親としてはいちいち訳あって怒っていても、子どもから見れば、あ〜あまた始まった、となる。
 そういう状態を我が息子は「おこりんぼ道(みち)」と言っている。「あ〜あ、またおこりんぼ道に行っちゃった」とか「今、おこりんぼ道からどのくらい離れてる?」とか。
 多分イメージとしては、「おこりんぼ道」と「ふつう道(みち)」は離れて並走する2本の道で、私は普段「ふつう道」を走っているが、怒りが沸き上がってくると、どんどん「ふつう道」を外れて、「おこりんぼ道」に近づいていく。そしてついに「おこりんぼ道」に入ってしまうと、そこを突っ走ってしまう…自分で「ふつう道」に戻ろうとしないと、なかなか容易には戻れない、という感じだろう。
 このイメージは割と秀逸で、ちょっとイラッとしたときに「あ、おこりんぼ道に近付いているぞ」と軌道修正したり、怒りが暴走し始めたときに、「ここらでおこりんぼ道から降りないと」と思ったり、自分の怒りを客観視できる。
 客観視したからといって、怒らなくなるわけではないけれどもね。