私と「9.11」その1

 今日は9月11日、8年前、2001年の今日、アメリカで同時多発テロが起こった。その後起こったことを含めて、忘れてはいけない日だと思う。 
 下の文章は、2002年に私がとあるゼミで「9.11以後の報道で印象に残ったこと」という課題に対して書いたレポート。ここに書いてある通り、私は今でも9.11と聞くと、あの事件を知ったまさにその時のことを思い出す。

 2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件に関する報道は、9月11日以来今日までずっとなんらかの形で続けられてきた。その情報量はすさまじいものであろうし、報道の中ではさまざまな言説が生まれ、議論されてきた。大量の情報と交わされた議論は、多くの人の世界認識に少なからず影響を与えただろう。しかし、そうした一連の報道の中で、私にとって最も印象に残っているのは、何も情報がない中での9月11日その日の報道である。
 9月11日夜、私はあるゼミの打ち上げに参加していた。午後10時前後に一次会がお開きになり、二次会に移動する道で、メンバーの携帯電話にメールが入ってきた。「アメリカの貿易センタービルで爆発」最初は皆が、時おり起こってきた自爆テロの一つだろうと思った。それでも、何人かが携帯電話でインターネットのニュースを検索する。政府関係の知人からメールが来た人がいる。本当に起こったことらしい。家族から興奮した声で電話がかかる。ニュースステーションの中継で突っ込む瞬間を見たという。突っ込んだのはジャンボ機で、ペンタゴンもやられたらしい。
 こうして我々のもとに断片的な情報が集まってきた。大国アメリカ、そのシンボル世界貿易センタービルと国防の中心でハイテクに守られているはずのペンタゴンに、あの大きな旅客機であるジャンボ機が突っ込んだという。しかも、二機も。なにも分からない状況で、ただこれだけの情報が切迫した空気とともに伝わってくる。全員の顔から笑みは消え、言葉少なになっていく。私たちは「戦争」という言葉が現実化する可能性がすぐそこにあることをはっきりと認識した。一人のもとにアメリカからメールが来た。留学中の友人からの「電話がつながらない、実家に無事だと伝えてくれ」との内容だった。二次会は流れ、皆静かに帰って行った。街にはまだ何も知らない人がたくさんいた。
 家に帰ってテレビをつけ、ほとんど夜通し見続けた。依然として詳しいことは分からない。ただ時間を追うにつれて増えていく衝突の瞬間の映像が危機感に拍車をかけた。不思議なことに、断片的だった情報がつながっていくにつれ、危機に関する認識は深まっているのに、最初の危機感は薄れていった。
 断片的で少ない情報で、自分の脳裏に「戦争」という二文字が始めて現実のものとして浮かんだ。私が世界認識を揺り動かされたのは、その後のまとめられた報道によってではなく、事件が起き、危機が徐々に明らかになっていくその過程によってであった。だからこそ、私は今でもそのときのことを印象深く思い起こすことができるのである。